「日々」を始めてから、「文章」について以前より考える機会が増えました。
頭の中で考えていた言葉を、つなげて文章にするのって…難しい!!
今までは自分だけ理解していればよかったけど、見られることを意識するようになりました。
表現の引き出しが全然ないと痛感・・・
最近は文章を見るときに「こういうつなげ方があるんだ」「導入の仕方上手だな、真似したい」という気付きがあり、とても楽しいです。
たくさん文章を見るぞ~!
「日々」を始めてから、「文章」について以前より考える機会が増えました。
頭の中で考えていた言葉を、つなげて文章にするのって…難しい!!
今までは自分だけ理解していればよかったけど、見られることを意識するようになりました。
表現の引き出しが全然ないと痛感・・・
最近は文章を見るときに「こういうつなげ方があるんだ」「導入の仕方上手だな、真似したい」という気付きがあり、とても楽しいです。
たくさん文章を見るぞ~!
「インクルーシブ時代の障害者インタビュー はじめの一歩 – connpass」をオンライン視聴しました。
視聴して良かったです。
※恥ずかしながら、「インクルーシブ時代」という言葉自体を知らなかったので、調べるところからスタートしました。“inclusive(インクルーシブ)” は英語で「包括的な」「包み込むような」という意味があるとのこと。
つまり、インクルーシブ時代=包み込む時代→「誰も排除されない社会を目指す時代」
自分の場合、たとえばWebサイトのレビューやユーザーテストのときにインタビューの機会があるかもしれないなと想像しながら聞きました。
アジェンダは「リクルーティングの方法(どうやってインタビュー相手を探すか)」「インタビューの心構え」「インタビュー前にやっておきたい準備」「当日のインタビューでの訪ね方・聞き方」でした。
全体を通して思ったのは「普通のインタビューと同じだな~」ということです。
結局のところ、相手を尊重し、しっかり準備をして、一個人として向き合うことが大事。
一番心に残ったのは『「◯◯障害の人」ではなく、個人として向き合う』という言葉です。
「障害者」という大きなくくりで見てしまうと、「自分の知らないもの」という意識から“特殊な存在”という壁を作ってしまい、それがインタビューの妨げになるそうです。
たとえば、聞き取りづらいときに「聞き返したら失礼かな」と思う必要はなく、わからないことは素直に聞く方がずっと誠実。そんな態度をしていると、すぐにバレちゃう…!
そのほか「zoomなどのインタビュー媒体に関して事前にテストしておく、相談して決めておく」など、通常のインタビューにも活かせる内容がたくさんありました。
良かったなあ。
近所の神社でお祭りをしていたようです。
朝、祭り囃子の音で目が覚めました。
子供たちの楽しそうな声や、吹奏楽部の音楽が聞こえてきて
参加しなかったけど、お祭りの雰囲気を感じられて幸せな気持ちになりました。

デザインやイラストを生み出す時「業務」という枠を超えて、頭の中でずっと考え続けるタイミングがあります。
家事をしてても、お風呂の中でも、寝るギリギリまで考える時もあります。
インプットの量が普段の何倍にもふえて、ああでもないこうでもないと悩み続け、何度もアウトプットします。
そしたら少しずつ形になってきて、最終的に方向性が固まってデザインが生み出されます。
その瞬間が好きです。
不安や悩みを一旦別の引き出しに入れられる感覚。精神統一に近いかも。
「ベイジの日報」という制作会社さんの日報が好きで、RSS登録してちょくちょく見てます。
シンプルなデザインに加え、テキスト中心で読むのが疲れないところが良いです。
こういうテキストベースのインターネットがもっと増えてほしいなあ。
内容は…とても勉強になります。
でも、ゆるふわで生きてきた自分にとっては痛いところを突かれるばかりです。
全身血まみれです。
理由はいいから腕を磨けは背中から一突きでした。
日報だけでなく、モチベ系の記事を読むたびに、私はいつも同じパターンをたどります。
読んでからしばらくは記事の内容が憑依してモチベーションが上がります。
でも日常に戻ってしばらくすると、気づけばその熱がどこかへ行ってしまいます。
せっかくあんなにやる気だったのに~。
常に気持ちを上に置いておくのって、難しいですよね。
少しでも積み重なって、知らないうちに身につけばいいな。
オモコロ20周年の展示で「憧れで始めて殺意で続ける」の展示があったらしいです。
「小説を書きたい」という相談に対する永田さんの言葉です。
創作を続けるには焦燥と嫉妬を持ち続けなきゃいけないと思っていた私にとって、この言葉は刺さりました。
嫉妬ですら足りない。続けるためには、もっと深いところから湧き上がる殺意が必要なのかもしれません。
言葉の受け取り方や問いかけ方を変えるだけで、相手の反応も自分の気持ちも変わるなあって思いました。
例えば、「これ直して?」というよりも「これも良いけど、今回はこっちのほうがベターかな!」
「作業終わってないよね?」を「こういう理由で〇時までに終わらせてもらうと助かる〜」…みたいな、みたいな。
うーん、まだ自分の中にストックがなくていい例が浮かばないけど、こういう言葉を増やしたいなあ。
「私〇〇できないんだ」とか「〇〇持ってないの」に対して「来年の課題だね〜」って返事してた人がいて、あ、なんかいいな〜と思いました。
責めたり慰めるわけでもなく、同じ目線で居てくれるって感じが好きです。来年っていうところも丁度良いな〜
データを PSD形式で納品 する必要があったので、 .figを .psdに変換して作業しました。
ところがどっこい、この変換データがとにかく重い…。 「1つ作業しては待つ → また1つ作業しては待つ」の繰り返し。
原因は SVG。 PhotoshopがSVGに対応していないため、 ベクターデータのレイヤー数なんと 3万近く に…!ひえ〜。
figmaも同じくらいレイヤー数あるはずなのに、 少し重いだけで済んでたのすごい…。
快適さと軽さのありがたみを思い出しました。
でも強制的に待ち時間が発生するって意外と良いね。 10年前くらいはこうだったなあ~…。 待ち時間が、脳を休めるきっかけになってたんだ。
マツコ・デラックスが話していた理想の幸せのかたちが、とても心に響いたので残しときます。
ちゃんみな: 「理想的な美」「理想的な暮らし」、例えば結婚はするのかしないのかなどの選択が出来るようになった中でも、偏った選択が多いなかでそこに自分がそぐわないと感じるタイミングが多くて、人によって幸せの形ってあるなってすごく感じていて。 マツコさんが思う幸せってどんなのかなって思いました。
マツコ: インスタで最先端の生活をしているのを見せることって空虚なことだなって思う中でも、あれってわかりやすいんだよね。
例えば、結婚、出産、お金、美…いろんなわかりやすい幸せ。 これをしてるかしてないか、あるかないかってあるじゃん。
それを手にしたかどうかが幸せの判断ってあるじゃんって思いながらも、それしかねえじゃんって思う。
万人が共通認識できることってそれしかないじゃん。 だからそれをインスタで見せたりして競争的ないいねをもらい、それでアタシは幸せだって見せてるのって、悲しいよねって思う反面わかりやすいよねって思う。
自分が幸福かどうかは実は他者に委ねているところがすごく大きい気がして、でもアタシは他者ってものを介在させない自分であることが幸せにつながると思っていて。
それがアタシができてるかどうかわからないけど、現にこうやってテレビの前のみなさんに支えられて生きているから偉そうなことを言う資格はないんだけど、幸福ってなんだって言われたら他者を介在させずに喜びを得ること。
もちろん、人間は生まれてきたら他者とかかわらざるを得ない生物で、他者を救うことで救われる生物で、他者との関係性を切ることは絶対にできないんだけど。
それはありがとう、自分はこれ。
他人に絶対介入させないで、他人と絶対比較しないというものを、持っていることが幸福な気がします。

先日、久しぶりにサイゼリヤに行きました。 サイゼってすごい。これが300円ってバグ? 友人と二人で食べて、なんと2000円。ドリンクバーとデザートもつけて!
どこかの記事で創業者が「値上げをしない」って言っていてありがたや~と思っていたけど、 さすがにここまでやすいと心配になってきます。 もっとたくさん食べに行きたいと思いました。