「私〇〇できないんだ」とか「〇〇持ってないの」に対して「来年の課題だね〜」って返事してた人がいて、あ、なんかいいな〜と思いました。
責めたり慰めるわけでもなく、同じ目線で居てくれるって感じが好きです。来年っていうところも丁度良いな〜
「私〇〇できないんだ」とか「〇〇持ってないの」に対して「来年の課題だね〜」って返事してた人がいて、あ、なんかいいな〜と思いました。
責めたり慰めるわけでもなく、同じ目線で居てくれるって感じが好きです。来年っていうところも丁度良いな〜
データを PSD形式で納品 する必要があったので、 .figを .psdに変換して作業しました。
ところがどっこい、この変換データがとにかく重い…。 「1つ作業しては待つ → また1つ作業しては待つ」の繰り返し。
原因は SVG。 PhotoshopがSVGに対応していないため、 ベクターデータのレイヤー数なんと 3万近く に…!ひえ〜。
figmaも同じくらいレイヤー数あるはずなのに、 少し重いだけで済んでたのすごい…。
快適さと軽さのありがたみを思い出しました。
でも強制的に待ち時間が発生するって意外と良いね。 10年前くらいはこうだったなあ~…。 待ち時間が、脳を休めるきっかけになってたんだ。
マツコ・デラックスが話していた理想の幸せのかたちが、とても心に響いたので残しときます。
ちゃんみな: 「理想的な美」「理想的な暮らし」、例えば結婚はするのかしないのかなどの選択が出来るようになった中でも、偏った選択が多いなかでそこに自分がそぐわないと感じるタイミングが多くて、人によって幸せの形ってあるなってすごく感じていて。 マツコさんが思う幸せってどんなのかなって思いました。
マツコ: インスタで最先端の生活をしているのを見せることって空虚なことだなって思う中でも、あれってわかりやすいんだよね。
例えば、結婚、出産、お金、美…いろんなわかりやすい幸せ。 これをしてるかしてないか、あるかないかってあるじゃん。
それを手にしたかどうかが幸せの判断ってあるじゃんって思いながらも、それしかねえじゃんって思う。
万人が共通認識できることってそれしかないじゃん。 だからそれをインスタで見せたりして競争的ないいねをもらい、それでアタシは幸せだって見せてるのって、悲しいよねって思う反面わかりやすいよねって思う。
自分が幸福かどうかは実は他者に委ねているところがすごく大きい気がして、でもアタシは他者ってものを介在させない自分であることが幸せにつながると思っていて。
それがアタシができてるかどうかわからないけど、現にこうやってテレビの前のみなさんに支えられて生きているから偉そうなことを言う資格はないんだけど、幸福ってなんだって言われたら他者を介在させずに喜びを得ること。
もちろん、人間は生まれてきたら他者とかかわらざるを得ない生物で、他者を救うことで救われる生物で、他者との関係性を切ることは絶対にできないんだけど。
それはありがとう、自分はこれ。
他人に絶対介入させないで、他人と絶対比較しないというものを、持っていることが幸福な気がします。

先日、久しぶりにサイゼリヤに行きました。 サイゼってすごい。これが300円ってバグ? 友人と二人で食べて、なんと2000円。ドリンクバーとデザートもつけて!
どこかの記事で創業者が「値上げをしない」って言っていてありがたや~と思っていたけど、 さすがにここまでやすいと心配になってきます。 もっとたくさん食べに行きたいと思いました。

みえますか
なにかが落ちています

アヒルでした
かわいい
「日々」を始めようと思った理由は2つあります。
ひとつ目は、「ハラプロ」というweb制作をされている方のサイトの「日常に生きるブログ」という日記が好きだから。
日常の小さなことを、数行の記録として残すのが魅力的で、参考にさせていただきました。
ふたつ目は、最近好きになったアーティスト・ちゃんみなの影響です。
ちゃんみなが「毎日寝る前にノートに“言葉”をメモしている」と言っていて、なんだか良いなあと思いまして…。
日々忘れていく、その時にしか浮かばない言葉を切り取っておきたいなと思いました。
あまり人目に触れない場所でゆっくり続けたかったので、
SNSではなく、ここに「日々」を新しくつくりました。
自分のための記録だけど、誰かの目に留まってくれたら嬉しいな。