陽子が大好きです
高校時代から、ずっと十二国記の中嶋陽子が大好きです。
陽子すっごくかっこいいです。陽子半端ないです。みんなに知ってほしいです。
弱い心に打ち勝つ強さを広く知ってもらいたくて、名言を集めました。
- 裏切られたっていいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、
わたしのなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい - わたしは貧しい人間で、だから貧しい人間関係しか作ってこられなかった。
おろかだった自分がほんとうに悔しいから、あそこでちゃんとやり直してみたい - 臆病だったのではなく、たんに怠惰だったのかもしれない
- 根拠のない自信は傲り(おごり)というんだ
- みんなの都合に負けて自分の生き方を決めたら、わたしはその責任を負えない
- 人は誰の奴隷でもない
- 心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がる
- 「だから生きてやる。誰にも望まれない命なら、あたしだけでも惜しんでやるんだ」
- 「せめて、卑怯者にはなりたくないから」
- 「そう簡単に死にはしないと思う。わたしは往生際が悪いから」
- 「ぜったいに、負けない」
- 「わたしは、自分がどれだけ醜い人間か知ってる」
- 人に頭を下げるたび、壊れていくもののほうが問題
- まず自分がしっかり立てないと、人を助けることもできない
- 誠心誠意それを望めば、必ず結果がついてくるというものではない
- 生まれた国は豊かだったけれどたくさんのことがひずんでいた
- 「誰もやったことがないなら、やれないものか試してみたい」
- ---死んでもいい気がした、というのは、たぶん真実ではない。
- 「心に鞘はいらない」
- 他者に対しては礼をもって接する。
- 死にたくないのでは、きっとない。生きたいわけでもたぶんない。ただ陽子は諦めたくないのだ。
- 「-頑張るって、口で言うのは簡単なんだけどね。」
- 「本当に順風満帆なはずなんてないってわかってるからこそ、それでも平気だって言える」
裏切られたっていいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、
わたしのなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい
これは楽俊が倒れているのを知りながら、その場から離れて行った後のシーンです。
「……殺さなくてよかった……」
早まらずに、魔がささずに、それを実行に移さないでよかった。
なぜ人を信じることができなかったのだろう。
鵜のみにしろと言っているわけではない。それでもあのネズミを信じることが、陽子にはできていいはずだった。
「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしのなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい」
追いつめられて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか。
陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることはなんの関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、なんの関係もないはずなのに。
ひとりでひとりで、この広い世界にたったひとりで、助けてくれる人も慰めてくれる人も、誰ひとりとしていなくても。それでも陽子が他者を信じず卑怯にふる舞い、見捨てて逃げ、ましてや他者を害することの理由になどなるはずがないのに。
「……強くなりたい……」
日本に居たらきっとこんな気持ちにはならなかったでしょうね~。
陽子はこの後悔の後、劇的に変化します。
わたしは貧しい人間で、だから貧しい人間関係しか作ってこられなかった。
おろかだった自分がほんとうに悔しいから、あそこでちゃんとやり直してみたい
蓬莱(日本)に帰るかこちら(十二国)に留まるかを悩む、陽子の名言です。
両親がいるの。家があって友達がいるの。
ほんとうに絶対いい両親でいい友達だったか聞かれると困るけど、それはあの人たちだけの責任じゃない。
わたしは貧しい人間で、だから貧しい人間関係しか作ってこられなかった。
でもここで帰ったら、もっとちゃんとやれると思う。ぜんぶ一からやり直して、自分が生まれた世界に自分の居場所を作れると思う。
おろかだった自分がほんとうに悔しいから、あそこでちゃんとやり直してみたい」
とても好きな言葉です。
今、自分の周りの友人や家族との関係は自分が築き上げてきたからこそ存在するもの、ってことですね。
誰にもその代わりは出来ないし、他の人の変わりになることも出来ないんですね。
そう思うと、落ち込んでいる気持ちが少し元気になるような気がします(^ω^)
臆病だったのではなく、たんに怠惰だったのかもしれない
はぐれてしまった楽俊を探しながら、陽子が考えこむシーンです。
陽子は故国で人の顔色を窺って生きていた。誰からも嫌われずにすむよう、誰にも気に入られるよう。人と対立することが怖かった。叱られることが恐ろしかった。今から思えば、何をそんなに怯えていたのだろう、そう思う。
ひょっとしたら臆病だったのではなく、たんに怠惰だったのかもしれない。陽子にとっては、自分の意見を考えるより他人の言うままになっているほうが楽だった。他と対立してまで何かを守るより、とりあえず周囲にあわせて波風を立てないほうが楽だった。
根拠のない自信は傲り(おごり)というんだ
陽子と楽俊の会話シーンから。
玉座につくことを悩んでいる陽子と、陽子に王になって欲しいと願っている楽俊。
陽子「わたしが王になったら、もっと不幸になるかもしれない」
楽俊「そんなことはない」
陽子「なぜ?」
陽子「陽子にならできると思うからだな」
陽子「……できない」
陽子「できる」
短く言ってから楽俊は溜息をつく。
陽子「どうしていまさらそんなに卑屈になるんだ」
陽子「自分ひとりのことじゃないから」
陽子はただ打ち寄せる波を見下ろす。
陽子「自分ひとりのことならやってみる。自分で責任のとれることなら。失敗してもわたしが死ぬだけならいい。でも、そうじゃないだろう」
……省略……
陽子「陽子ならだいじょうぶだ」
陽子「根拠のない自信は傲りというんだ」
私は驕り高ぶる王より陽子みたいな王のほうがずっといいと思います!
でも自分が背負える責任かどうか、天秤にかけて判断できる(しようとする)ってとても大切なことではないでしょうか。
いざ!って時に判断できる人間になりたい!うん。
みんなの都合に負けて自分の生き方を決めたら、わたしはその責任を負えない
陽子「違う、駄々をこねているんじゃない。王がどういうものか、麒麟がどういうものか、よく分かった。だから、自分のいのちを守るためだとか、そんなことで決断をしたくない。」
楽俊「でもな」
陽子「自棄で言ってると思ってほしくないんだけど」
陽子は微笑う。
陽子「わたしはこちらに来て、いつ死んでもおかしくない状況だったんだ。なんとか生きてこられたけど、それは運がよかったんだと思う。こちらに来たときになかったも同然も命だから、そんなに惜しい気がしない。すくなくとも、そういう惜しみ方をしたくない」
楽俊はきゅうぅ、と喉を鳴らした。
陽子「だから命を惜しんで軽はずみな選択をしたくない。みんなが私に期待してるのはわかってる。でもここでみんなの都合に負けて自分の生き方を決めたら、わたしはその責任を負えない。だから、ちゃんと考えたい。そう、思ってる」
月の影 影の海〈下〉 小野不由美より。
優柔不断な私だったら
「よし分かったみんなのためにおうさまになる」
と安易に決めて後々後悔しそう。
考えることはしっかり考えて決断はきっぱりが理想的ですね。
人は誰の奴隷でもない
「人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれてくるのじゃない。他者に虐げられても屈することのない心、災厄に襲われても挫けることのない心。不正を正すことを恐れず、獣に媚びず…
…私は慶の民に、不羈の民になってほしい
己と言う領土を治める、唯一無二の君主に。
そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げることから始めてほしい。
諸官は私に慶をどこへ導くのかと聞いた。これで答えになるだろうか・・・?
伏礼を廃す-。これを以て初勅とする」
風の万里 黎明の空より。
陽子の名言TOP3に入ります。
この発言、アニメの演出は素晴らしかったです。直後にエンディングテーマが流れます。
陽子の決意の気持ちがしっかりあらわれていました。
個人的にはあの回が最終回だと思っています(十二国記の小説がまだ終わっていないのもあり、アニメも中途半端に終わってしまったので…)
心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がる
人はね、景麒
真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がるものだ。
礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るものではないだろう。
礼の名の下に他者に礼拝を押しつけることは、他者の頭に足を載せて地になすりつける行為のように感じる。
”真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がるものだ。”
確かにそうかもしれません。
無理やり伏礼をさせても、意味がないと王の立場になって気づいたのでしょう。
陽子だからこそ、気づいたのかもしれません。
「だから生きてやる。誰にも望まれない命なら、あたしだけでも惜しんでやるんだ」
蒼猿「尻尾があればそれがいいのかい?あの鼠が本気で信用するのか?」
陽子「信用なんかしない。世話になるふりをして、体力を取り戻すだけだ。人の言葉を喋ってもあれは鼠だ」
蒼猿「親切な誰かがたすけてくれる。そうじゃなかったのかい?」
陽子「悟った。あたしは一人だ。帰るところも、行くところもない」
蒼猿「そうだ。誰もお前の死を望んでる。いや、お前はもう死んでるんだ」
陽子「だから生きてやる。誰にも望まれない命なら、あたしだけでも惜しんでやるんだ」
蒼猿「あの鼠は裏切るぜ」
陽子「あたしは鼠を信じない。だから裏切り用がない。」
これはアニメのセリフです。
蒼猿が陽子を唆していますが、陽子は
「誰も信用しなければ誰にも裏切られない」
と、心を閉ざしています。
”だから生きてやる。誰にも望まれない命なら、あたしだけでも惜しんでやるんだ”
達姐や松山(海客)に尽く裏切られ、心に余裕が無かったから出た台詞かもしれません。
「せめて、卑怯者にはなりたくないから」
どうせ玉座などというものは、血であがなうものだ。玉座を維持するためには、どこかで血を流さざるを得ない。
内乱の鎮圧、罪人の処刑、偽王の始末。
延王はそう言った。せめて、卑怯者にはなりたくないから。
旅の途中で陽子が悟ったこと。
「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしのなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい」
どんなに裏切られても、自分だけは変わらずに居たいという気持ち。
こう思えるようになったのは、楽俊が居てくれたからでしょうね。
「そう簡単に死にはしないと思う。わたしは往生際が悪いから」
戦うということは、人を殺すということだ。これまで人を斬ったことだけはなかったが、それは人の死を心に背負う勇気を持てなかったからだった。一緒に行くといったときに覚悟は決めた。大義のために人の命を軽んじようというわけではない。斬った相手とその数は必ず忘れず覚えておく。それが陽子にできる最大限のことだと、そう納得していた。
「だいじょうぶ?」
延に聞かれて陽子は頷いた。
「迷うなよ。せっかくその気になってくれた景王をここで失っては、目も当てられぬからな」
「そう簡単に死にはしないと思う。わたしは往生際が悪いから」
月の影 影の海の後編の台詞です。
この名言ももちろん好きですが、”それは人の死を心に背負う勇気を持てなかったからだ”
この一文も好きです。
陽子は一連の旅で「責任の重さ」を学んだのかもしれません。
小説の節々に責任についての文章が出てきます。
「ぜったいに、負けない」
「……強くなりたい……」
柄を強く握りしめた。
世界も他人も関係がない。胸を張って生きることができるように、強くなりたい。
猿が突然に笑いをやめた。
「お前は死ぬんだ。家にも帰れず、誰にも振り向かれず、騙されて裏切られて、お前は死ぬんだ」
「死なない」
ここで死んだら愚かで卑怯なままだ。死ぬことを受け入れることは、そんな自分を許容することだ。
生きる価値もない命だと烙印を押すことはたやすいが、そんな逃避は許さない。
「死ぬんだ。飢えて疲れて首を刎ねられて死ぬんだ」
渾身の力を込めて剣を払った。草叢を斬り裂いた切っ先は空気までを斬って、強い手応えを返した。散った葉先の間に猿の首が飛ぶ。地に落ち、血糊を撒いて点々ところがった。
「ぜったいに、負けない……」
涙が止まらなかった。
硬い袖で顔を拭って、歩き出した陽子の足元には金の光が落ちていた。
陽子はしばらくその意味を取りかねて、呆然とそれを見つめる。
土の色を変えた血溜まりの中、蒼猿の首があるはずの場所にそれはあった。
もうずいぶんと昔になくしたはずの。
--鞘、だった。
長い!!けど、このシーンは省略したくなかったんです。大事なシーンなので…。
”世界も他人も関係がない。胸を張って生きることができるように、強くなる”
時に人を慮るのは大切ですが限度があります。コレが私にとって難しいんですよね~。普通に生きている以上、やっぱり他人のことは気にしちゃいます。
陽子が日本に居るときは、他人のことばかり気にして、自分をないがしろにしてましたね。そして、この名言。
「強くなりたい、ぜったいに負けない」
「わたしは、自分がどれだけ醜い人間か知ってる」
「わたしにはできない」
「何でだ?」
「わたしは、自分がどれだけ見難い人間か知ってる。王の器じゃない。そんな大層な人間じゃない」
「そんなことは」
「楽俊が半獣だというなら、わたしも半獣だ。一見して人間のようだけれど、内実は獣でしかない」
「陽子…」
小説の前半では、陽子の一人称は「あたし」だったのですが、
後半になると「わたし」になってるんですよね…。
人間的な成長をあらわしているんでしょうか。
人に頭を下げるたび、壊れていくもののほうが問題
「他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど、わたしは知らない」
宰輔は絶句したし、諸官も呆れて口を開けた。
「そんな者の矜持など知ったことではない。それよりも、人に頭を下げるたび、壊れていくもののほうが問題だと、私は思う。」
この後、心から尊敬の念を感じたときは、自然に頭が下がる
の文章に続きます
それにしても陽子…高校生とは思えない言葉の使い回し。「そんな者の矜持など知ったことではない。」
矜持という単語がとっさに出て来ないですよ!
まず自分がしっかり立てないと、人を助けることもできない
せめて慶がもう少し豊かで、もう少し朝廷が堅固なものであれば。
内紛の起こるような朝廷では、安心し、信頼して見を寄せていることもできまい。実際のところ、引き止めてそれを後悔させないだけの事は、何一つしてやれないと分かっている。
みすみす死なすようなものだと承知で二人を出すことは身を切られるように辛いが、この痛みは受け止めるしかないのだ。
「……まず自分からなんだよな」
「うん?」
雲海を眺めていた六太が振り返る。
「まず自分がしっかり立てないと、人を助けることもできないんだな、と思って」
陽子がいうと、そうでもないぜ、と六太は窓に額を寄せる。
「人を助けることで、自分が立てるってこともあるからさ」
「そんなもんか?」
「意外にな」
黄昏の岸暁の天の後半部分。六太と陽子の会話のシーン。
人を助ける前に、自分がしっかりしてなきゃいけない。バランスが難しい。
誠心誠意それを望めば、必ず結果がついてくるというものではない
陽子は自国の民――景麒と浩瀚、そして遠甫を見た。
「慶の復興さえままならないのに、戴を救っている場合か、とお前たちは言いたいだろう。
それは私も承知している。けれども。私は戴を救う気でいる。できる限りのことはする。それは戴の民のためだけではなく、慶の民のためでもあると思うからだ。慶にも同じことが起こらないとも限らない」
「主上」
景麒は諫めるように声を上げたが、陽子は首を振った。
「もちろん道を失う気などない。良い王になりたいと思っている。---本当に。
けれども誠心誠意それを望めば、必ず結果がついてくるというものではないと思う。
破滅するつもりで破滅した王などいないだろう。ましてや戴の場合のように、逆賊によって国を荒らされることもある。だから、私が斃れたとき、あるいは私が道を失ったときのために、民を救済する前例を作っておきたい。王がいなくても民が救われるような道を敷いておきたいんだ」
いい王になりたい。でも、頑張っても願いがかなわない事がある。
やっぱり陽子かっこいいです!女性だけども、「かっこいい」の形容詞が一番似合いますね。
生まれた国は豊かだったけれどたくさんのことがひずんでいた
「風の万里 黎明の空」より。
「豊かな国であってほしい、と思う。私は慶の国民に飢えてほしくない。だが、豊かだったらそれでいいんだろうか。私の生まれた国はそれは豊かだったけれど、良い国だったかと問われると、そうだとは言えない。たくさんのことがひずんでいた」
(*私の生まれた国 = 日本)
物資が十分普及されているとか戦争が起きていないとかサブカルチャーが充実しているとか
何をもって「良い国」だと決めるのか…難しいですね。
陽子は豊かな国を見ているから、豊かなだけが良い国ではないと知っているのかもしれません。
「誰もやったことがないなら、やれないものか試してみたい」
「せめて義倉があればな、と。各地に義倉がありますね?飢饉や戦乱が起こり、民が物資に困ったときは義倉を開けて民に施す---そういうものが国と国の間にもあればいいのに、と思っていたんです。
~~省略~~
……覿面の罪なんてものがあるとは知らなかったし、他国に介入しないという慣例があることも知らなかった。ものを知らないから、簡単に考えていたのだけれども」
「陽子は面白いことを考えるな……」
半ばあきれたように六太が言う。
「私が考えたわけじゃない。これはそもそも、あちらにあった仕組みなんだ。延麒がいた頃にはなかったと思うけどね」
「へえ……」
「誰もやったことがないなら、やれないものか試してみたい。諸国に依頼して力を借りることはできませんか」
慣例や規定を何も知らないからこそ、柔軟な思考で物事を解決することができる!
例えるなら、会社に新しい風を入れてくれる新入社員のような…
このシーンを見るたびに、「陽子高校生くらいの年代なのにすごいな」と感心します。
日本の行政のシステムを把握して、それを活かそうとしていることが。。。
私が高校生のときは…ニュースで見るくらいで、政治は感心なかったです…
楽俊が「陽子が作る国を見てみたい」と言っていましたが、わかる気がします。
---死んでもいい気がした、というのは、たぶん真実ではない。
---死んでもいい気がした、というのは、たぶん真実ではない。
だが、虚脱したあまり、何もかもどうでも良くなったのは確かだ、と陽子は思う。
抵抗するのも怒るのも面倒だった。乱入者に対峙するためには、自分は愚王ではない、と言い張らねばならなかったが、それができるような自信も自負もありはしない。
かつてなら、天意がある、だから王だ、という気概を持てもしただろうが、陽子はこのところ天意を奇蹟の一種とみなすことができなくなっていた。そうしたいなら、それも良い。
「慶をないがしろにし、戴国の麒麟を助けることに躍起になっている。このままでは前の女王のような愚王になってしまう」と焦った官僚たちが陽子に襲いかかろうとしたシーンです。
虚脱感から抵抗しない陽子でしたが、景麒の使令が助けてくれました。
---死んでもいい気がした、というのは、たぶん真実ではない。
どちらかというと…「死んでもいい」というより、自分がふがいないばかりに官僚の信頼も得られず、国の治安も一向に良くならない…それならいっそのこと死んでしまえば。そんな気持ちがあったのかもしれません。
「心に鞘はいらない」
風の万里 黎明の空 のシーンです。
遠甫「もう一度、鞘を作らせていただくのも懐かしい。」
陽子「いや。鞘は要りません。」
遠甫「ほう…」
陽子「ときに私の思うままにならず、見るのが辛いものを見せる。それは私の心なのです。心に鞘はいらない。」
遠甫「天帝に感謝を申し上げたい。よい王をと。」
人間だから壁を作ってしまうのは仕方ないと思います。
心に鞘のない人生…それを目標にして日々を過ごすのはとても良いことですよね。
私も気をつけて過ごしたいです。
他者に対しては礼をもって接する。
「真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、しぜんに頭が下がるものだ。礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るためのものではないだろう。礼の名のもとに他者に礼拝を押しつけることは、他者の頭の上に足をのせて、地になすりつける行為のように感じる。」
「しかし、それでは示しが」
「無礼を奨励しようというわけではない。他者に対しては礼をもって接する。そんなものは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言ってるんだ」
陽子は高校生なのにかっこよすぎる。
私のほうが年上なのに…(´;ω;`)なんでこんなに違うんだろう。
さて。日本は礼儀が逸脱している国だとよく言われますが…。
当たり前のことをできていない人がたくさん居るからこそ、この名言が心に響くんだと思います。
「恩を仇で返す」という怖~いことわざがあるくらいですから…笑
死にたくないのでは、きっとない。生きたいわけでもたぶんない。ただ陽子は諦めたくないのだ。
どうしてなのか自分でもわからない。バカだと思うし浅ましいとも思う。それでもここであきらめるぐらいなら、もっと前にあきらめてしまえばよかったのだ。
~~省略~~
死にたくないのでは、きっとない。生きたいわけでもたぶんない。ただ陽子は諦めたくないのだ。
帰る。必ずあのなつかしい場所に帰る。そこでなにが待っているか、それはそのときに考えればいいことだ。帰るためには生きていることが必要だから、守る。こんな所で死にたくない。
陽子は剣にすがって立ち上がった。斜面に突き立て、藪におおわれた坂を上がり始める。これほどゆるくこれほど短いのに、これほど辛い坂を陽子は知らない。
月の影 影の海 より。
蒼猿さんに言及され、挫けそうになりながらも強い意志で乗り越えるシーン。
陽子の性格が滲み出ている文章です。
「-頑張るって、口で言うのは簡単なんだけどね。」
-頑張るって、口で言うのは簡単なんだけどね。
その前にしなくてはいけないこと、学ばなくてはいけないことが山積みで、正直言って、ときどき途方に暮れてしまうな。
十二国記短編集「書簡」より。
私は「頑張らなきゃな」という気持ちはあるけれど、具体的に何に力を入れるか・どうしたいのかが分からないまま「頑張ります!」と口にしてしまうことが多いです。
「本当に順風満帆なはずなんてないってわかってるからこそ、それでも平気だって言える」
「でも、私は玉葉が前向きで居るのを見ると、すごいなって思う。楽俊が上手くやってる、と聞くと、そうか、じゃあ私も頑張らないとな、と思えるんだ。本当に順風満帆なはずなんてないってわかってるからこそ、それでも平気だって言えるし、しゃんと背筋を伸ばしている様子を見ていると、私もしゃんとしよう、元気を出してがんばろうって気になる」
玉葉は微笑んだ。
「元気がうつってしまうんですね」
「そうみたい。だから前向きになれるんだよね。確かに官とは上手くいってないけど、別に揉め事を起こしているわけじゃないから、まだ最悪の状態にはほど遠いよな、って思えるんだ。大丈夫だ---少なくとも大丈夫だよ、って言えるくらいには問題ない。だから大丈夫だって言うし、そう言ってると自分でも乗り越えられるような気がするんだ」
空元気も時には大切なことですね。
陽子は良い意味で、人と自分をくらべて頑張れるようになったのかもしれません。
すべての人間にとって、本人こそが主人公なのだということを、ゆめゆめお忘れなく。
この名言、どの部分の抜粋でしょう? じつはこれ、十二国記本文には書かれていません。 あとがき、つまり小野不由美さんの名言です。
すべての人間にとって、本人こそが主人公なのだということを、ゆめゆめお忘れなく。本を閉じたあとにでも、ふっと思い出していただけると幸いです。
上巻、下巻を読み終わって耽っている時にこの名言を見て 良い締め方だなぁとしみじみしたのは私だけでしょうか。…笑