
デザインやイラストを生み出す時「業務」という枠を超えて、頭の中でずっと考え続けるタイミングがあります。
家事をしてても、お風呂の中でも、寝るギリギリまで考える時もあります。
インプットの量が普段の何倍にもふえて、ああでもないこうでもないと悩み続け、何度もアウトプットします。
そしたら少しずつ形になってきて、最終的に方向性が固まってデザインが生み出されます。
その瞬間が好きです。
不安や悩みを一旦別の引き出しに入れられる感覚。精神統一に近いかも。

デザインやイラストを生み出す時「業務」という枠を超えて、頭の中でずっと考え続けるタイミングがあります。
家事をしてても、お風呂の中でも、寝るギリギリまで考える時もあります。
インプットの量が普段の何倍にもふえて、ああでもないこうでもないと悩み続け、何度もアウトプットします。
そしたら少しずつ形になってきて、最終的に方向性が固まってデザインが生み出されます。
その瞬間が好きです。
不安や悩みを一旦別の引き出しに入れられる感覚。精神統一に近いかも。
「ベイジの日報」という制作会社さんの日報が好きで、RSS登録してちょくちょく見てます。
シンプルなデザインに加え、テキスト中心で読むのが疲れないところが良いです。
こういうテキストベースのインターネットがもっと増えてほしいなあ。
内容は…とても勉強になります。
でも、ゆるふわで生きてきた自分にとっては痛いところを突かれるばかりです。
全身血まみれです。
理由はいいから腕を磨けは背中から一突きでした。
日報だけでなく、モチベ系の記事を読むたびに、私はいつも同じパターンをたどります。
読んでからしばらくは記事の内容が憑依してモチベーションが上がります。
でも日常に戻ってしばらくすると、気づけばその熱がどこかへ行ってしまいます。
せっかくあんなにやる気だったのに~。
常に気持ちを上に置いておくのって、難しいですよね。
少しでも積み重なって、知らないうちに身につけばいいな。
オモコロ20周年の展示で「憧れで始めて殺意で続ける」の展示があったらしいです。
「小説を書きたい」という相談に対する永田さんの言葉です。
創作を続けるには焦燥と嫉妬を持ち続けなきゃいけないと思っていた私にとって、この言葉は刺さりました。
嫉妬ですら足りない。続けるためには、もっと深いところから湧き上がる殺意が必要なのかもしれません。
言葉の受け取り方や問いかけ方を変えるだけで、相手の反応も自分の気持ちも変わるなあって思いました。
例えば、「これ直して?」というよりも「これも良いけど、今回はこっちのほうがベターかな!」
「作業終わってないよね?」を「こういう理由で〇時までに終わらせてもらうと助かる〜」…みたいな、みたいな。
うーん、まだ自分の中にストックがなくていい例が浮かばないけど、こういう言葉を増やしたいなあ。
「私〇〇できないんだ」とか「〇〇持ってないの」に対して「来年の課題だね〜」って返事してた人がいて、あ、なんかいいな〜と思いました。
責めたり慰めるわけでもなく、同じ目線で居てくれるって感じが好きです。来年っていうところも丁度良いな〜
データを PSD形式で納品 する必要があったので、 .figを .psdに変換して作業しました。
ところがどっこい、この変換データがとにかく重い…。 「1つ作業しては待つ → また1つ作業しては待つ」の繰り返し。
原因は SVG。 PhotoshopがSVGに対応していないため、 ベクターデータのレイヤー数なんと 3万近く に…!ひえ〜。
figmaも同じくらいレイヤー数あるはずなのに、 少し重いだけで済んでたのすごい…。
快適さと軽さのありがたみを思い出しました。
でも強制的に待ち時間が発生するって意外と良いね。 10年前くらいはこうだったなあ~…。 待ち時間が、脳を休めるきっかけになってたんだ。
マツコ・デラックスが話していた理想の幸せのかたちが、とても心に響いたので残しときます。
ちゃんみな: 「理想的な美」「理想的な暮らし」、例えば結婚はするのかしないのかなどの選択が出来るようになった中でも、偏った選択が多いなかでそこに自分がそぐわないと感じるタイミングが多くて、人によって幸せの形ってあるなってすごく感じていて。 マツコさんが思う幸せってどんなのかなって思いました。
マツコ: インスタで最先端の生活をしているのを見せることって空虚なことだなって思う中でも、あれってわかりやすいんだよね。
例えば、結婚、出産、お金、美…いろんなわかりやすい幸せ。 これをしてるかしてないか、あるかないかってあるじゃん。
それを手にしたかどうかが幸せの判断ってあるじゃんって思いながらも、それしかねえじゃんって思う。
万人が共通認識できることってそれしかないじゃん。 だからそれをインスタで見せたりして競争的ないいねをもらい、それでアタシは幸せだって見せてるのって、悲しいよねって思う反面わかりやすいよねって思う。
自分が幸福かどうかは実は他者に委ねているところがすごく大きい気がして、でもアタシは他者ってものを介在させない自分であることが幸せにつながると思っていて。
それがアタシができてるかどうかわからないけど、現にこうやってテレビの前のみなさんに支えられて生きているから偉そうなことを言う資格はないんだけど、幸福ってなんだって言われたら他者を介在させずに喜びを得ること。
もちろん、人間は生まれてきたら他者とかかわらざるを得ない生物で、他者を救うことで救われる生物で、他者との関係性を切ることは絶対にできないんだけど。
それはありがとう、自分はこれ。
他人に絶対介入させないで、他人と絶対比較しないというものを、持っていることが幸福な気がします。

先日、久しぶりにサイゼリヤに行きました。 サイゼってすごい。これが300円ってバグ? 友人と二人で食べて、なんと2000円。ドリンクバーとデザートもつけて!
どこかの記事で創業者が「値上げをしない」って言っていてありがたや~と思っていたけど、 さすがにここまでやすいと心配になってきます。 もっとたくさん食べに行きたいと思いました。

みえますか
なにかが落ちています

アヒルでした
かわいい
「日々」を始めようと思った理由は2つあります。
ひとつ目は、「ハラプロ」というweb制作をされている方のサイトの「日常に生きるブログ」という日記が好きだから。
日常の小さなことを、数行の記録として残すのが魅力的で、参考にさせていただきました。
ふたつ目は、最近好きになったアーティスト・ちゃんみなの影響です。
ちゃんみなが「毎日寝る前にノートに“言葉”をメモしている」と言っていて、なんだか良いなあと思いまして…。
日々忘れていく、その時にしか浮かばない言葉を切り取っておきたいなと思いました。
あまり人目に触れない場所でゆっくり続けたかったので、
SNSではなく、ここに「日々」を新しくつくりました。
自分のための記録だけど、誰かの目に留まってくれたら嬉しいな。